株式会社ミツバ 新卒採用サイト

沿革

沿革

世界のできごと   ミツバのできごと
     
太平洋戦争終結の翌年、日本国憲法公布。 1946
昭和21年

当社がオリジナルで開発し、戦後日本初となった国産の発電ランプ。


設立当初のミツバ。(桐生市清水町)
株式会社三ツ葉電機製作所創立。当時高価な外国製しかなかった自転車用発電ランプを、戦後日本で初めて国産品として開発・製品化し、販売開始。
 
第1回NHK紅白歌合戦(ラジオ)。 1951
昭和26年
自動車用警音器(ホーン)生産販売開始。自動車関連事業始まる。
NHK、テレビ本放送を開始。 1953
昭和28年

名古屋出張所。東京、大阪、名古屋と営業網を拡大していった。
ダイハツ工業、本田技研、富士重工業(現・スバル)、鈴木式織機(現・スズキ)、日野ヂーゼル(現・日野自動車工業)など多数の自動車・二輪車メーカーと取引開始。
明治製菓、日本初の缶入りジュースを発売。 1954
昭和29年
第1回全日本自動車ショウ(現・東京モーターショー)出展。
電気冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが「3種の神器」と呼ばれる。トヨタ、国民車試作第1号を発表。 1956
昭和31年

ダイハツ・ミゼットにミツバ製のワイパーが搭載された。
取引先からの要望により、ワイパーモーターの開発、生産販売開始。ミツバが他社の大型モーターとは異なる車載に適した小型・電動のワイパーモーターを開発したことで、現代に至るまでのワイパーシステムの礎ができる。
最低賃金法、国民年金法公布。メートル法施行。 1959
昭和34年
本田宗一郎氏の依頼により小型二輪車用スターター開発。「女性にも乗りやすい」というカブのコンセプトに基き、キックスターターを用いなくてもボタン1つでエンジンがかかる、小型でハイパワーのスターターモーター開発に成功。
   
カラーテレビ本放送開始。政府、国民所得倍増計画を決定。日本が二輪車生産世界一になる。トラック・バスの完成車および二輪車の貿易自由化実施。 1960
昭和35年

スターターの低温試験。(赤城山にて)
当年発売のセル付スーパーカブに、大手モーターメーカーを抑えてミツバ製のスターターモーターが搭載。ミツバがエンジン電装品メーカーとしての一歩を踏み出す。
 
オリンピック東京大会開催。 1964
昭和39年
資本金1億円となる。第1回輸出貢献企業表彰を受け、以降8回連続受賞。第1回桐生まつりに参加。
交通安全対策基本法公布。日本万国博覧会、大阪で開催。 1970
昭和45年

当時のミツバビル。(現・ミツバ本社ビル別館)
株式会社両毛電子計算センター(現・両毛システムズ)設立。 ミツバビル完成、本社事務部門移転。輸出売上高6億円突破。
沖縄が日本に返還。東北自動車道開通。自動車に初心者マーク登場。国連統計で東京の物価が世界一に。 1972
昭和47年

WM03R型リアワイパー
WM04C型リアワイパー

試行錯誤を繰り返し、1つ1つ課題を改善していった。
本田技研、シビックを発表。後輪が巻き上げた泥水がリアウィンドウにかかりやすいという課題に対応し日本初のリアワイパーとウォッシャーを搭載。その開発・製造をミツバが行い、更にワイパーシステム全体の開発の知見から短期間で高性能化を実現。
この経験から、広角タイプ(払拭エリアが180°に近い)リアワイパーもミツバが世界で初めて商品化した。
   
初の静止気象衛星「ひまわり」打ち上げ。白黒テレビ放送廃止。本田技研、ニューヨーク証券取引所に上場。 1977
昭和52年
東京店頭市場に株式公開。労働省(現・厚生労働省)認定の高等職業訓練校として「三ツ葉電機製作所認定高等職業訓練校」開校。
 
男女雇用機会均等法施行。東北自動車道全線開通。 1986
昭和61年

1981年、新ミツバビル(現・ミツバ本社ビル)完成。光ケーブルによるLAN配線を完備した、当時最先端のオフィスビル。
アメリカ・イリノイ州にアメリカン・ミツバ・Corp.を設立。アメリカ・ウオルブロー社とミツバ・ウオルブロー設立の合弁契約を調印。
東京ドーム完成。リクルート事件発覚。 1988
昭和63年
東京証券取引所市場第二部に株式上場。日野昇社長就任。
消費税実施。ドイツ、ベルリンの壁崩壊。東証平均株価3万8,915円87銭の史上最高値 1989
平成元年
東京証券取引所市場第一部に指定替え。研究部・CADセンターに次々と新型機材を導入。
 
環境基本法公布。 1993
平成5年
職業能力開発で労働大臣賞受賞。ミツバ環境宣言発表。特定フロン全廃計画達成。環境問題にいち早く対応していく。
 
阪神・淡路大震災発生。地下鉄サリン事件発生。円相場、一時79円75銭となり最高値更新。製造物責任法(PL法)施行。 1995
平成7年
本田技研、昭和40年代にミツバと共同開発していた電動アシスト付自転車が法の規制緩和によって量産可能になり、前年スタートした電動スクーターと併せてミツバがこれらの原動機モーターと速度制御装置の開発・生産を担当。 ISO9000導入宣言。実験棟に無響室・半無響室完成。
 
原爆ドーム世界遺産登録。三菱銀行と東京銀行が合併、資金量世界一となる「東京三菱銀行」誕生。大手スーパーマーケット、元日営業開始。 1996
平成8年

創立70周年を機に再整備された「温故知新」館。最新のミツバ製品や製造用高機能ロボットを見学できる。
創業50周年。株式会社ミツバに社名変更。若い世代にもミツバの技術の歴史が分かるように技術開発の変遷を展示した「温故知新」館を創設。 電子メールの全社展開、ミツバホームページの開設するなど、設備投資だけでなく情報発信のタイムリー性を重視するインターネット化に積極的に対応。
 
消費税率3%から5%へ。香港が中国へ返還。北海道拓殖銀行経営破たん。山一證券自主廃業。 1997
平成9年
国内外に複数の関連会社を設立。実験棟の電波暗室、新里実験棟域に実写実験用浸水路が完成。技能五輪選手育成を開始。「起業家提案制度」による新規事業提案募集開始。新「ミツバ環境宣言」「行動指針」発表。
 
小泉内閣発足、5年5か月の長期政権となる。アメリカ同時多発テロ発生。 2001
平成13年

2002WEM-GP(ワールド・エコノ・ムーヴ・グランプリ)初代チャンピオン。
国内全工場でQS9000認証取得。海外に複数の関連会社設立。技能五輪全国大会でミツバの選手が銀賞受賞。社内設備を複数増強、新設。SCRプロジェクト立ち上げ。
   
自衛隊イラク派遣開始。F1アメリカGPにて佐藤琢磨が14年ぶり日本人表彰台を獲得。日本で製造業への人材派遣が解禁。 2004
平成16年
株式交換により自動車電機工業が100%完全子会社に。技能五輪全国大会でミツバの選手が銅賞受賞。
 
東京三菱銀行とUFJ銀行が合併、世界最大の銀行に。 2006
平成18年

新たな開発拠点として加わった横浜研究開発センター。
創立60周年。「MITSUBA WAY」制定。国内外に複数の関連会社を設立。技能五輪全国大会にて複数のミツバ選手が受賞。
アメリカでサブプライムローン問題が顕在化。新潟中越沖地震発生。トヨタ平成19年3月期決算にて、日本企業初の営業利益2兆円突破。 2007
平成19年

事業所内保育施設「おひさまガーデン」。女性の社会進出を応援しています。
自動車電機工業株式会社と合併。事業所内保育施設「おひさまガーデン」開園。代表者異動で日野昇会長就任。ものづくり日本大賞で社員が内閣総理大臣賞受賞。
   
東日本大震災発生。タイ大洪水でバンコク冠水。世界人口70億人突破。 2011
平成23年
シートモーター、車いす用電動ウインチシステムを開発。海外に複数の関連会社を設立。
消費税率5%から8%へ。 2014
平成26年

Auto Expo 2014 Components ミツバブース。他にも2014年上海、2015年フランクフルトなど次々に出展し、存在感を高めている。
第12回Auto Expo 2014 Components(インド最大級の自動車・部品展示会)に初出展。「ミツバビジョン2024」策定。
 
日銀がマイナス金利導入決定。熊本地震発生。民進党発足。電力小売り全面自由化スタート。 2016
平成28年

ミツバモーター搭載の電動カート。この技術を活かし、環境負荷の少ない駆動用モーターへの汎用も目指している。
創立70周年。鈴鹿サーキットのアトラクション「Circuit Challenger」で走る電動カート70台にミツバのSRモーターが採用。レース用の供給に留まらず、一般の人々にもより気軽にミツバのSRモーターEVの性能を体感してもらえるようになった。
   
東京オリンピック・パラリンピック開催 2021
令和3年
創立75周年。「ミツバビジョン2030」策定。